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2026/06/12
【ピレッティジャパン社長】 ピレッティジャパン誕生まで|並行輸入から始まった27年とアメリカンゴルフとの出会い【経営もゴルフも一打一打#4打目】
早いもので、会社を立ち上げて27年になりました。
当初は、アメリカで流行しているゴルフ用品やグッズを並行輸入し、日本国内へ卸すことからスタートしました。
今のようにインターネットやSNSで簡単に情報が手に入る時代ではありません。
実際にアメリカへ足を運び、自分の目で商品を見て、日本にはまだない面白いものを探し続ける毎日でした。
アメリカのゴルフ文化は、日本とはまったく違います。
巨大な練習器具が普通に売られていたり、スタンドキャディバッグを背負ってコースを歩くのが当たり前だったり。
商品だけでなく、ゴルフそのものの考え方や楽しみ方が違う。
その文化に触れるたびに、
「なるほど、だから売れる商品も違うんやな」
と勉強させられました。
そして何より魅力的だったのが、日本にはない独特の“アメリカ感”。
無骨で、自由で、少し荒削り。
でも、それが妙にカッコいい。
そんなアメリカンゴルフの世界観に惹かれながら、10年以上にわたり並行輸入の仕事を続けてきました。
■ セルフスタンドバッグとの出会い
そんなある日、得意先様のお店で見たことのないバッグを見つけました。
小さなスタンドバッグです。
店長さんに聞くと、
「セルフスタンドバッグって言って、グリーン周り用のクラブを入れるバッグやねん。今かなり売れてるよ」
とのこと。
当時はまだ市場に出始めたばかりでした。
その頃から少しずつ、
「並行輸入だけではなく、自分たちで商品を作ってみたい」
という気持ちも芽生えていました。
そこでゴルフグッズの企画会社に相談し、オリジナルのセルフスタンドバッグを作ることに。
最初に作ったのはグリーンとグレーのカモ柄。
ブランド名もありません。
完全なノーブランド商品でした。
それでも予想以上に売れたんです。
自分たちで企画した商品を、お店が仕入れ、お客様が手に取ってくれる。
その時初めて、オリジナル商品を作る面白さを知りました。
■ PGAショーで出会った「ラウドマウス」
セルフスタンドバッグの成功をきっかけに、オリジナル商品への興味はさらに強くなっていきました。
そんな中で訪れたアメリカのPGAショー。
そこで出会ったのが「ラウドマウス」でした。
会場には派手で個性的なデザインが並び、
「この柄でセルフスタンドバッグを作ったら絶対面白い」
そう思った僕はメーカーへ何度も交渉を重ね、ライセンス契約を実現しました。
そこからキャディバッグやヘッドカバー、アクセサリーなどの商品企画がスタート。
それまでの“並行輸入の卸業”から、
自分たちで商品を企画し、価格を決め、ブランドを育てる。
そんなメーカー的な立場へと少しずつ変わっていったのです。
■ 衝撃だった「Piretti」との出会い
そしてその頃には、
「ラウドマウスに続く新しいブランドと出会いたい」
という思いが強くなっていました。
そんな時に出会ったのが、Pirettiでした。
ショーケースに並ぶ数多くのパターの中で、なぜかPirettiだけが目に入ったんです。
派手じゃない。
でも存在感がある。
高級感があるのに嫌味がない。
まるで高級スポーツカーのような洗練されたロゴデザイン。
そして削り出しパターならではの美しい造形。
「なんや、このパターは。」
そう思ったのを今でも覚えています。
ただ、値札を見てさらに驚きました。
5万円。
当時の市場感覚からすると、かなり高額な部類のパターでした。
正直、
「えっ!? パターで5万円!?」
と思いました(笑)
でも不思議なことに、
高いからやめようとは思わなかったんです。
むしろ、
「このブランド、なんか気になるな」
という気持ちの方がどんどん強くなっていきました。
■ それでもPirettiに関わりたかった理由
その頃の僕は、完全に“モノづくり”に魅了されていました。
だから頭の中に浮かんだのはパターではなく、
Pirettiのロゴを使ったキャディバッグやアクセサリーでした。
ラウドマウスで培った経験を活かして、Pirettiでも面白いことができるんじゃないか。
そんなイメージが膨らんでいったんです。
そこで日本国内の状況を調べてみると、パターは流通しているものの、総代理店契約が終了しているらしい。
つまり、日本総代理店が空いている状態でした。
それを知った瞬間、
「これはチャンスかもしれない」
と思いました。
すぐにアメリカのビジネスパートナーへ連絡し、Pirettiへのアプローチを依頼しました。
■ Piretti Japan誕生
当初の目的は、あくまでバッグやアクセサリーのライセンス契約でした。
ところが返事は、
「NO」。
しかし同時に、
「日本の総代理店を探している」
という話を聞きました。
しかも、すでに複数社が名乗りを上げている。
そこから一気に状況が変わりました。
メーカーから提示された条件は決して簡単なものではありません。
正直、
「これはなかなかハードルが高いな」
と思いました。
それでも僕の頭の中にあったのは、
「あのブランドを日本で展開したい」
という気持ちだけでした。
他社に取られたくない。
どうしても挑戦したい。
その想いが勝ったんです。
最後はビジネスパートナーに、
「この条件でいきましょう」
とお願いしました。
今思えば無謀だったかもしれません。
でも、それくらいPirettiに魅力を感じていました。
数字だけではなく、可能性を信じた決断だったと思います。
そして2016年1月。
正式にPiretti Japanとして契約することになりました。
あれから10年
あれから10年が経ちました。
当時、店頭で5万円のPirettiを見て、
「高っ!!」
と思っていたのに、
今では
「10年前のPiretti、めちゃくちゃ安かったな…」
と思う自分がいます(笑)
本当に不思議なものです。
でも振り返ると、あの時の決断がすべての始まりでした。
あの時、
「高っ!!」
と思ったパターを、
まさか自分が日本で10年も販売することになるとは思っていませんでした。
人生は本当に分からないものです。
でも一つだけ確かなことがあります。
あの日Pirettiに出会っていなければ、今のPiretti Japanは存在していません。
すべては、一本のパターとの出会いから始まりました。
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